阪神3連敗(号泣)
追いつくかも!という希望を山田哲人のスリーランでかき消された試合だった。
まあ山田は履正社高校(大阪)出身なので許すとする(負け惜しみ…)
この山田哲人を育て上げたのがヤクルト杉村繁一軍打撃コーチ。
彼は巨人の原辰徳元監督とともに当時の高校野球を賑わしたスラッガーだった。
ご存知であろうか?
1975年3月28日、第47回選抜高等学校野球大会決勝。
※選抜では金属バットがこの大会から使用された。それまでは木製バットだったのだ。
東の原辰徳、西の高知・杉村繁、と言われていた大会の決勝である。
※杉村はドカベンの微笑三太郎のモデルらしい(余談)。
僕の父は高知県出身。
園田競馬場で調教師をしていた、熱烈な野球好きの父方親戚のおっちゃんに連れられて、高知県代表の試合にはよく連れていってもらっていた。
当時9歳の僕は、もちろんこの決勝戦も甲子園で観戦していた。
延長13回、杉村の決勝打となる三塁打で高知高校は優勝!
紫紺の大優勝旗は高知県に。
大興奮し、今も僕の記憶に残るセンバツは幕を閉じた。
あれから42年。
原監督は巨人軍の特別顧問。
杉村コーチは現在も山田をはじめヤクルトの若手を鍛え上げているバリバリの現役コーチだ。
杉村コーチのSTRデータを分析すると彼の人生が見えてくる。
堅○2樹
宿命が『堅』
堅実に真面目にコツコツと積み上げて生きていく人生である。
甲子園のスターとして活躍し、ドラフト1位でプロ入り。
原監督より早くプロ入りし、華々しい野球人生のスタートであったが、華々しい結果は残せなかった。
引退後は広報などフロント業務を努め(長嶋一茂番も努めた)、打撃コーチ補佐に就任。
後に青木宣親を指導し、横浜では内川を指導した。
現在は一軍打撃コーチとして、山田哲人にバランスボールを使用した打撃練習法などで指導していることは有名である。
同時期に高校野球のスターだった原監督とは、違う人生である。
『堅』の宿命を持った杉村コーチだからこそ、山田哲人を育てることができた。
人生は何をするのかではなく、どう生きるのか。
そしてそれは、誰と会うのかが重要であると僕は思う。
華々しいプロ野球の世界だからこそ、裏方の杉村コーチの存在が眩しく味わい深い。
あなたの周りの味わい深い『堅』の人は誰かな?
知りたい方はこちらから。
自分と世界を幸せにしよう。
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